ゆるるん自宅警備

大人になりたくない大人のブログです

馬鹿タレともんじゃの駄菓子屋

昨日のブログを予約投稿した時、私は色んな覚悟をした。

叩かれるかも…とか「卑怯者!」とか思われちゃうかなぁ〜とか色んな事を頭の中で考えた。

それでも嘘はつきたくないし、自然体の自分で居たかった。

「自分の人生を楽しんで!」とか「幸せになって…」とか「頑張ったね!」とか「小説にして下さい」などなど…

あたたかい言葉を頂いた時、私はしばらくぽかん…とした。

この世界は私を否定する人ばかりじゃないんだ…と感じた。

 

「ばあちゃん、今私は幸せだよ!」と言いたかった。

あたたかい言葉を頂いたらあたたかい思い出や楽しい思い出が溢れてくる。

そんな中で思い出した事を今日は書こうと思います。

 

 

「ギョロメ屋さん」と言う駄菓子屋さんがあった。

お店の外観はボロくてスペースは物凄い狭い。

左右にビッシリと駄菓子、くじ、おもちゃがたくさん並んでて、子供の心を鷲掴みにしてしまう様ないかにも昔ながらの駄菓子屋さんって感じの店。

ちびまる子ちゃんに出てくる様な広い駄菓子屋さんではなく、子供が2人入ったらすれ違うのに肩をぶつける位の店だった。

ちなみにギョロメ屋さんの屋号は全く違う名前だ。

ギョロメ屋さんは子供達が勝手につけた名前で私が物心ついた時にはもうすでに「ギョロメ屋さん」だった。

「店のおっさんの目がでっかくてぎょろぎょろしてるからギョロメ屋さんになった」と言う噂があったが近所の子はみんな深く考えもせず「ギョロメ屋に行きたいからお金頂戴!」と言って親からお小遣いを貰うと小銭を握りしめてギョロメ屋さんに走って行った。

もちろん私もその内の1人だった。

 

幼稚園の年長さんの頃はばあちゃんに連れられて行ったし、小学生になったら自分の足でダッシュで通った。

ギョロメ屋さんに行くのがいつも楽しみだった。

「ばあちゃん!ギョロメ屋さんでクジ引きたい!クジに当たると大っきなお菓子が貰えるんだよ!」とよくおねだりした。

ばあちゃんは「じゃあ50円あげるから洗濯物を畳みなさい」とか「おつかいに行きなさい」とかミッションをくれる。

そのミッションさえクリアすればギョロメ屋さんに行けるのだ。

ミッションクリアしてばあちゃんが小銭入れの中から50円玉を出してくれた時は「あ〜、今日は頑張ったなぁ!お手伝いしてよかったぁ!」と自分の大したことない労働を自分で褒め称えていた。

50円を握りしめてダッシュでギョロメ屋さんに走る私はファミコンスーパーマリオブラザーズBダッシュ位は走れてたと思う。肩で息をしながらギョロメ屋さんに着き「何にしようかなぁ〜、あれもこれも欲しいなぁ〜」と悩みながら色んな物を買った。

 

当時、モロッコヨーグル10円、うまい棒も10円、紐あめ10円、袋に入った麦チョコ30円、妖怪煙シート20円ザッとこんな値段だ。

妖怪煙シートとはシートに一度シートに指をくっつけて、指と指をこすりくっつけたり離したりすると指から煙が出てくる不思議なアイテムなのだ。

それを「魔法だ!」と言って馬鹿な男子は遊んでた。

私も馬鹿な男子に負けるもんかと「魔法」を使うためにせっせと20円出して妖怪煙シートを買った。

今の私なら絶対に買わないアイテムトップ3に入るだろう。

後残りは30円、ここは大事な所!

10円は私のギャンブル精神が働きモロッコヨーグルだ!

当時このモロッコヨーグルの蓋の裏に「あたり」があるとその場でもう1個貰えるのだ。

運が良ければ2個食べられる。女は度胸!チャレンジするしかないだろう。

10円は紐あめに使う。

紐あめにもあたりはずれがあるのだ。

これも運だが、紐あめはでっかいのとちっこいのがある。

でっかいのはオレンジ色でちっこいのは赤色(ピンク)だった。

紐あめを舐めながら帰ると「ギョロメ屋さんに行った感」に浸れるので紐あめで決定だ。

最後の10円はうまい棒だ!

甘いものの次はしょっぱいもんが欲しくなるし、なんだかんだで定番だ。

色んな味があるのも嬉しい。

私はコーンポタージュ味やとんかつ味をよく選んだ。

あっと言う間にギョロメ屋さんで50円使えた。

 

私はギョロメ屋さんが自分の家なら駄菓子が食べ放題からいいなぁと心の底から思った。

見た目はボロいが「駄菓子食べ放題、クジ引き放題、ジュース飲み放題」だ。

ギョロメのおっさんの子供になりたいとは思わないが、ギョロメ屋さんは私の遊園地みたいなもんだ。

これが寿司屋の子供になって毎日寿司を食べたい!と言うのとは違うのだ。

寿司屋の子供になって毎日寿司はちょっとキツイ。

寿司屋だってカレーが食べたくなる時もあるし、スパゲティが食べたくなる時もあるだろう。

でも駄菓子は毎日食べられる。

私はギョロメのおっさんをちょっとカッコイイとすら感じた。今思えばただの普通のおっさんだ。

だけど当時の私はギョロメ屋さんに夢中だった。

 

ばあちゃんに「何でうちは駄菓子屋じゃないんだ!とり肉屋を辞めて今から駄菓子屋さんになろう!」と無茶苦茶な事を泣きながらお願いした時もあった。

そんな願いは当たり前だが届かなかった。

駄菓子屋さんになれないならせめてモロッコヨーグルをお腹いっぱいになるまで食べてみたい!と第2希望も出してみたがそれも通らなかった。

1個10円のモロッコヨーグルでお腹を満たすには子供の私でも50個は必要かもしれない…。

10×50=500なので当時小学校二年生の私にとって大金だ。

簡単に叶うわけないのでここは大人の力を借りなければいけない。

そんな馬鹿みたいな願いは届くわけもなく私は泣いてお願いした。

ばあちゃんに「馬鹿なこと言っているんじゃないよ!そんなに泣くならギョロメ屋さんの子供になりな!」と一喝された。

さっきも書いたが、あのおっさんの子供になりたいわけじゃないのだ。

私は泣いた。わんわん泣いた。泣けばどうにかなると思っていた。

泣いている私を見て、じいちゃんが売れ残りのから揚げを持ってきた。

「どうした?腹が減ったのか?これでも食え」と言ってカチカチになったから揚げを持ってきた。今はから揚げではないのだ。

とり肉屋から駄菓子屋に転職してくれと言っているんだ。

それがダメならモロッコヨーグルでお腹いっぱいにしたいと言っているのだ。

全く話の分からない人達だ。

事情を聞いたじいちゃんは泣いている私に「いいかぁ?お前はいつか結婚して旦那さんや子供にご飯を作ってあげなきゃいけないんだぞ?じいちゃんもばあちゃんもいつまでもお前のそばに居てやりたいけど、どう頑張ってもお前より先に死ぬんだ。だからそんなくだらない事で泣いていないで一日も早くしっかりしてくれ・・・」と言った。

私は泣きながら「どうしてじいちゃんもばあちゃんも先に死ぬの?私はずっとこの家でじいちゃんとばあちゃんの作ったご飯を食べるよ。じいちゃんもばあちゃんも死なないで~!」と言って更に泣いた。

じいちゃんもばあちゃんも深いため息をついて「まだお前に言ってもわかんないよなぁ」と呆れた顔をしていた。

じいちゃんが「よし!そんなに言うならお前に500円やる!ただし九九が全部言える様になったらだ。そん時はモロッコでもトロッコでも好きなもん買え!ちゃんとじいちゃんの前で九九を間違えずに言うんだぞ」と言ってくれた。

今泣いたカラスがもう笑ったとはよく言ったもんで私はすぐに泣き止んだ。

そして私は九九の練習表をあちこちに貼った。

部屋にはもちろん、トイレにも貼った。じいちゃんとお風呂に入って九九の特訓も受けた。

 

特訓のおかげで1週間で私は九九が言えるようになった。

じいちゃんから約束の500円も貰った。

ばあちゃんは「500円も貰ったんだから無駄遣いするんじゃないよ!」と怒鳴られたがそんな事は無視した。

私は500円握りしめてギョロメ屋さんにBダッシュした。

ギョロメ屋さんについておっさんに「これでモロッコヨーグルを買えるだけください」と言った。

おっさんはビックリした顔で「え?これ全部?本当にいいの?」と聞いてきた。

私は「ははぁ~ん、おじさんは私が大人買いをするのにびっくりしているんだね。そりゃそうだ。小学校二年生が500円も持っているんだもん。でもこの500円は九九が全部言えた私のご褒美なんだよ。」と思ったが口には出さなかった。

「いいんです。これで買える分だけください」と言った。

おっさんは白いビニール袋にモロッコヨーグルを50個詰めてくれた。

ギョロメ屋さんから帰る時の私の足取りは軽かった。

空もいつもより青くて、雲もいつもより白く感じた。

その辺に生えている雑草やぺんぺん草までも可愛らしく見えた。

家に帰ると同時に「あ!!早速無駄遣いしてきたね!この馬鹿!500円も貰ったのに!」と店先で怒鳴られた。

自営業ってもんはこれだから困る。いつも家にいるので隠し事が一切できない。

「今日はこれでお腹いっぱいにするからご飯いらないよ」と言ったら「ご飯いらないなんてとんでもない!戦争時代どれだけの人が白いご飯を食べたいと思ってそうずいを食べて来たと思ってんの!贅沢言うとバチがあたるよ!」と更に怒鳴られた。

小学校二年生の私に「戦争」を言ってもちゃんと理解できなかった。

 

部屋の中で私は幸せだった。

50個のモロッコヨーグルを並べて食べ始めた。

蓋を開けるたびにワクワクした。「あ!あたりがあった!」と言いながら食べて幸せだった。

10個目くらいにだんだん雲行きが怪しくなってきた。気持ち悪くなってきたのだ。

でもここで気持ち悪いと認めたくなかった私は食べ続けた。

こんなに幸せなのに具合が悪くなるなんて信じたくなかったのだ。

半分も食べる頃には「もういらない・・・」と思っていた。

畳の上でゴロンと横になり元気のない私を見てばあちゃんが「あんたどうしたの?」と聞いてきた。

口が裂けても気持ち悪いなんて言えない。

「お腹いっぱいになったから横になってる」と嘘をついたが顔色がおかしかったのだろう・・・。

ばあちゃんは「あんた何食べたの?お腹痛いの?ちょっとどうしちゃったの!」と肩を掴まれた瞬間に私はリバースした。

マーライオンのようにリバースした。

ばあちゃんは悲鳴をあげてタクシーを呼び私を病院に運んだ。

店先のじいちゃんも心配そうに見ていた。

病院に着き医師に「何食べたの?」と聞かれたがばあちゃんに叱られるのが怖くて黙っていた。

医師はばあちゃんに「手続きがありますから受付へ行ってきてください」と言ってばあちゃんを診察室から離した。

もう一度医師が「おばあちゃんあっちに行ったから先生に何食べたのか教えて」と言われたので正直に言った。

医師は笑って「それは具合悪くなっちゃうね~。先生も昔ところてんを洗面器いっぱい食べてみたかった時があったな~。」と言った。

笑われて恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

あの時ギョロメのおっさんが「本当にいいのかい?」と言った気持ちが分かった。

今の私の目にはきっと空も青く映らないし、雲もどんよりとした雲で、雑草もぺんぺん草も「犬のおしっこ場」としか映らない。

どうしてたった数時間でここまで変わってしまったのだろう。

別にモロッコヨーグルに罪はないし、ギョロメのおっさんも悪くない。

「自業自得」とはまさにこの事だ。

医師はばあちゃんに「食べ合わせが悪かったんでしょう。よくある事ですからお孫さんを叱らないであげてください。もうたくさん食べないよね?先生と約束しようね!」と言った。

ばあちゃんは私に「この馬鹿!」と言って医師に「申し訳ありませんでした」と謝っていた。

何回「馬鹿!」と言われたかもう分からなかった。

 

帰りのタクシーはなかなか来なくてばあちゃんと病院の外のベンチで待っていた。

すると「ばあちゃんもね、昔あんたみたいなことしたことがあったんだよ」と言い出した。

「ばあちゃんの子供の頃はね、甘い物なんて全然なくてねぇ。ばあちゃんのおじさんが戦争に行く時に支給されたキャラメルと金平糖をばあちゃんにくれたんだよ。おじさんはもう戻ってこれないのを知っていたんだろうね。当時は金平糖もキャラメルも物凄く貴重なものだったの・・・。それを食べてもばあちゃんは長女で甘やかされて育ったからまだ食べたくて赤ちゃんのミルクが缶に入っているのをこっそり舐めてしまったの。あんたみたいに一気に舐めたから気持ち悪くなっちゃってねぇ・・・。父ちゃんに怒られたよ。この馬鹿!ってね。あんたもばあちゃんと同じことしてるから父ちゃんみたいにこの馬鹿!って言っちゃったよ。」と笑っていた。

「あんた位の頃は毎日甘やかしてくれるおじいちゃんに泣きついてたのよ。「飴っこけろー!(飴をくれー)」って騒いだね。サクマドロップの缶を手の届かない所に置かれてね。あんたみたいに全部食べちゃうから。でもね母ちゃんに「いいが?うめぇもんはちょびっと食うからうめぇんだべっちゃ(いいかい?美味しい物は少しだけ食べるから美味しいのよ)」って言われたの。戦争が終わって物がたくさん世の中に出てね・・・女学校に通っていた時も色々あんたみたいにやらかして父ちゃんに怒られたのよ。母ちゃんは静かに「そげな事しちゃいげねぇよ(そんな事しちゃいけないよ)」って言うだけ。父ちゃんがおっかなくてね・・・。ばあちゃんも大人になって知ったんだよ。あんたもこれから色々知っていくの。ばあちゃんだってあんたみたいにたくさん失敗してばあちゃんになったんだよ。」とばあちゃん自身の失敗を聞かせてくれた。

私は家に帰ってから残りのモロッコヨーグルをばあちゃんに渡した。

ロッコヨーグルは1日1個までと言う決まりが出来た。

じいちゃんは笑いながら「全部出してスッキリしただろう?腹減ったんじゃねえのか?ほらお前にこれやるよ。「馬鹿タレ」で作った焼き鳥丼だ!お前には「馬鹿タレ」がよく似合ってるぞ!」と言ってどんぶり飯を出してきた。

「馬鹿タレ」の味はうちのいつものタレなのに美味しく感じた。

じいちゃんも「俺も子供の頃は兵隊に入れば腹いっぱいおにぎりが食えると思ってたなぁ。実際は一膳めしだったけどなぁ」と呟いた。

ばあちゃんもじいちゃんも子供だったんだと思うとものすごく不思議な気持ちになった。

それからも私はギョロメ屋さんに通ったが500円分のモロッコヨーグルを買う様な事はなかった。

ギョロメ屋さんはいつの間にか閉店していた。

 

大人になり私は夢の駄菓子屋さんちの子供と出会った。それは旦那だった。

おばあちゃんが家の1階で駄菓子屋さんをやっており、まさに私の理想の家だった。

旦那の話によると作りはギョロメ屋さんよりも広くてちびまる子ちゃんに出てくる駄菓子屋さん「みつや」みたいな作りらしい。

見せの真ん中に四角い台があり「カレーせんべい」や「酢いか」などが並べられていて、でっかい水あめの缶もあったそうだ。

旦那とは7歳違うので駄菓子事情も旦那の方が良くて、店で100円出すともんじゃ焼きも食べれたらしい。いかにも東京の下町っぽくて羨ましい。

旦那がもんじゃ焼きを作るのが上手い訳がここで分かった。

もちろんおばあちゃんに「あれ食べたい」とか言うとおばあちゃんがくれたみたいだ。

いいなぁと羨ましがっていると「俺は嫌だった」ときっぱり言った。

理由を聞くと、近所の子供達が一斉に呼んでもいないのに家に来て、実家が駄菓子屋でもんじゃ焼きが食べれるからと言う単純な発想で「もんじゃ」とあだ名をつけられて、同級生から「おいもんじゃ!おまえんちで万引きしてやったぞ!」などと自慢をされた苦い思い出。

悔しくて同級生と取っ組み合いの喧嘩をして相手を負かせてもまた「おいもんじゃ!またおまえんちで万引きしてやった」と言われる・・・。

確かにそれは嫌だ。儲けはどんなもんなの?と聞くと「わかんないけど大したこと無いと思うよ。そもそも税金の申告とかしてたのかな?そんな気配はなかったよ。だって年間100万も売上なんてないと思うよ。せいぜい20万から50万って所じゃない?」と言った。

ギョロメのおっさんの売り上げもきっとそんなもんだろう。

年金を貰っているおじいちゃんおばあちゃんの副業みたいなもんなら成立する話なのだ。

旦那のお父さんはサラリーマン、お母さんはパートで、おばあちゃんは店先で駄菓子を売っている。これなら大丈夫なのだ。

あの時「とり肉屋を辞めて駄菓子屋になってくれ」と言った子供の私を今の大人の私が「馬鹿言うんじゃないよ!!」と叱りたい気持ちでいっぱいだ。

私には「馬鹿タレ」の名前がピッタリだ。

「もんじゃ」と「馬鹿タレ」は細々と今日も元気で過ごして居る。