ゆるるん自宅警備

大人になりたくない大人のブログです

大好きだったおじちゃん

 私のじいちゃんが天国へ旅立ってからの事・・・。

葬儀を終えて落ち着きを取り戻す時には暑い夏を終えようとしていました。

私は親戚のおばちゃんに電話した。ばあちゃんの義理の妹にあたる人です。

抗がん剤も終わって体は大丈夫だからしばらく下宿させてほしい」と・・・。

おばちゃんは優しく真剣な口調で「うちのお嫁さんは看護師だから安心しておいで・・・いつでもあんたが来たいと思ったら来なさい。布団も寝る場所もある、着る物だけ持って気をつけて来るんだよ」と言ってくれました。

 

親戚のおじちゃんとおばちゃんは癌です。

おばちゃんは乳癌の手術経験者、おじちゃんは胃癌でした。

おじちゃんの胃癌は進行が早く手術でお腹の中を見た時はもう手遅れの状態だったそうで、そのまま癌を切除せずお腹を閉じたそうです。

でもみんなおじちゃんには内緒にしてました。

本当の事を言ったらおじちゃんが精神的に耐えられないと思ったから家族は「癌は全て取ったよ」と嘘をついていました。

親戚の人たちもその嘘に合わせていました。私もそのうちの一人でした。

 

私はおじちゃんが大好きでした。

小さい頃夏休みに入るとさっさとおじちゃんの家に行き夏休みの間ずっとおじちゃんの家に居ました。

1か月以上平気でおじちゃんちの子になっていました。

おじちゃんちにはお兄ちゃん二人、お姉ちゃん一人いました。

私の事を妹みたいにかわいがってくれました。

そんな私に嫌な顔一つもせず「このままうちの子になりな!」など言ってくれて私は本気でおじちゃんちの子になりたいと思う位おじちゃんが大好きでした。

おばちゃんは半分泣きながら東京に帰る私に優しく「あんたが来たいと思った時いつでも来ていいんだからね・・・」と言い、新幹線が発車するギリギリまで手をつないでいてくれました。

 

私が癌になった時、じいちゃんとおじちゃんも癌でした。

じいちゃんのパジャマ事件の時も真っ先に泣きついたのがおじちゃんでした。

「そんなことがあったのか・・・辛いよな・・・俺が義兄にバシッと言ってやる!だから癌に負けるんじゃないぞ!俺はちゃんとお前の気持ちがわかるぞ。分かってる人ちゃんといるぞ。」とおじちゃん自身も癌で辛いのに私の事を精一杯励ましてくれました。

 

そんな大好きなおじちゃんが胃癌になった。おばちゃんも乳癌になった。

おばちゃんは全摘の手術を受けて回復に向かった。

でもおじちゃんはもう長くない。

私はじいちゃんの時物凄い後悔をしたから二度と同じ思いはしたくない。

それに散々お世話になりっぱなしで何も返せていない。

せめておじちゃんと約束した「元気になったら会いに行く」と言う約束を果たしたい。

 

私は出発前に「おじちゃんに最後まで嘘をつき通す」と言う約束をばあちゃんとしました。

ばあちゃんも弟に嘘をつけなんて言いたくなかったんでしょう。

ばあちゃんはそっと私に医療用のかつらと喪服を持たせました。

私がこれから向かうのは東日本大震災の場所。

しかも2011年、震災があってから約半年しか経っていない。

まだ線路も流されっぱなし、無くなってしまった道路もある。

宅配便で明日、明後日に荷物が届くような環境じゃない。

ばあちゃんは「おばちゃんに喪服持ってきたなんて言うんじゃないよ」と真剣な顔をしました。

私は黙って喪服を車のトランクに隠しました。

そう言う事なんです。誰の目から見てもおじちゃんは長くないのは明らかなんです。

 

夜、私は東北へ出発しました。

サービスエリアで仮眠を取りながら順調に車を走らせました。

変わってしまった道、マンホールだけ飛び出していたり崩れてしまっていたりしたけど朝にはおじちゃんちに到着しました。

 

おじちゃんちはとなりのトトロに出てくるような家です。

トトロの世界はまさにおじちゃんちの風景です。

田舎のなつかしい雰囲気、いつもと変わらないおじちゃんちのはずなのに何故か物が多い・・・。

蔵には何だか分からないものが並べられている。家もガラクタがいっぱい・・・。

何があったの?と思いすぐに玄関に向かいました。開けたら誰もいない。

家にあがり最初に仏壇にお線香をあげました。

「お久しぶりです。しばらくお世話になります。」といつもと同じように挨拶をしました。

仏壇のごはんは新しくなっているので畑にでも行ったのか?なにせ田舎はカギをかける習慣がない。

離れに行くとおばちゃんが泣きながら片付けをしていました。

「おばちゃん?」と声をかけると「来てたの・・・お腹はすいてない?朝ごはんは食べたの?」と聞いてきました。

私の事よりこの荷物はどうしたの?と聞くとおばちゃんが少しづつ話してくれました。

おじちゃんは癌の進行がひどくなるにつれて色んな所からゴミを持ってくるようになってしまった。

大震災を経験して物を溜めこむようになってしまったと・・・

自分の部屋にカギをかけて閉じこもってしまったり、ゴミを持ってこないでほしいと伝えると暴力を振るうようになったと・・・。

まるで別人になってしまって家中ゴミで溢れかえってしまったと・・・。

おじちゃんが入院してからコツコツ一人で片づけをしていたと・・・。

 

「おばちゃん、私が片付けるから安心して」と言うと「あんただって私と同じ癌じゃないか!無理しちゃだめだ」と言うが私は幸い車の運転ができる。

おばちゃんは田舎に住んでいるけど免許は無く、乳癌をしてから自転車にも乗れなくなってしまった。

家中のゴミは行き場所を無くしていただけなので「隣のおじちゃんにトラック借りてゴミを運べばいいよ!早く来れなくてごめんね」と謝ったらおばちゃんはわんわん泣いた。

二人で癌になってしまい、この家にはおじちゃんとおばちゃんの二人暮らし。

息子や娘は近くに住んではいるけど、震災の影響で仕事が忙しくなりここまで手に負えないのだろう。

私は早速隣のおじちゃんに事情を話し次の日から4tのトラックを借りる約束をした。

 

面会時間になり私はおばちゃんを車に乗せて病院に向かった。

病院にはお兄ちゃんのお嫁さんも働いているので久しぶりに会うことが出来た。

一通り挨拶をしてそそくさとおじちゃんの病室に向かった。

久しぶりに会ったおじちゃんはずいぶん肌が茶色くなっていてお腹も膨れていた。

「おじちゃん・・・起きてる?」と聞いたらパッと目を開けて「何でここにいるんだ?」とびっくりしていた。

私は精一杯の笑顔で「約束したじゃん!元気になったら遊びに行くって!だから来ちゃった♪」と言ったら「いつ帰るんだ?今日は泊って行くんだろう?どれくらいいるんだ?」と聞かれたので「実はしばらくここに居たいんだよね・・・なんか懐かしくなっちゃって・・・」と言った。

「そうか・・・ずっと居ろ・・・義兄もいなくなってお前もさみしいだろう・・・。俺はな、全部胃を取ったからまたすぐ退院できるんだ。嫁もこの病院に居るから安心なんだ。退院したらサンマでも食べに女川に行くかぁ・・・」と言っておじちゃんは寝てしまった。

スースーと寝息をたてて眠るおじちゃんを見て涙が出そうになったが我慢した。

 

病院の帰りにおばちゃんとスーパーに寄った。

いつもと変わらない行動なのに少し寂しかった。

家に着きおばちゃんが「あんた知ってる?おじちゃんの事・・・」と言ったので「知ってるよ」と答えた。

おばちゃんはビックリした顔をして「義姉さんから聞いたの?」と言われたのでうなずいた。

「お願い・・・おじちゃんには言わないで・・・胃を取ったって信じてるんだ。知らないままの方がおじちゃんの為なんだ。だから・・・お願い・・・」とおばちゃんが土下座した。

ゴミを集めてきたって、暴力を振るわれたって、罵倒されたってそれは全て病気のせい。

おばちゃんは全部受け止めているんだ。

これ以上おじちゃんに苦しい思いをさせたくないからと言ってこんな小娘の私にまで頭を下げた。

だから私もおばちゃんに土下座した。

「じいちゃんの事で私は物凄い後悔をしました。お世話になったおじちゃんにお礼をしたい。じいちゃんに出来なかった分までお手伝いをしたい。だからおじちゃんの最後の時までおばちゃんのお手伝いをさせてください。」

 

おばちゃんは「手伝ってくれるの?」と言ったので「私は子供の頃からおばちゃんの作ったご飯を食べて、おばちゃんが洗濯してくれた服を着て、おばちゃんに読み書きを教わった。だからおばちゃんの事をお母さんだと思ってる。だからおばちゃんも私の事を娘の様に気を使わないで何でも言ってほしい。だからここに居させてください」と言ったらおばちゃんはくしゃくしゃの顔で「ありがとう・・・そんな風に思っていてくれたなんて嬉しい・・・」と言って二人でたくさん泣いた。

 

次の日から私は朝から4tトラックでゴミを運び、午後から病院に行くと言う生活をした。

ゴミと言ってもトラックに乗せて収集所に運ぶ単純作業。

地震の影響でゴミを回収してくれる業者さんはたくさんあった。

片付けていたら嬉しい事に発電機なんかも発見した。

おじちゃんの物だろう・・・。

「余震があった時用に使える」と思い発電機を畑のど真ん中のきゅうりハウスに移した。

3日も続けていたら結構片付いてきた。

 

 

ある日おじちゃんの病院に着いておばちゃんが看護師のお嫁さんに「先生から話があるって・・・」と言われ二人で担当医の所に行ったので私は一人でおじちゃんの所に行った。

「おじちゃん、今日も来たよ」と言うと「おぉ、来たかぁ。犬の餌はあげたか?」と聞いてきたので「ばっちりだよ!鶏のエサもあげたよ!あとお風呂の石油も入れといた!」と答えた。

おじちゃんは「そっかぁ・・・ありがとな・・・。あのなぁ、俺の知り合いの〇〇さんって人が居るんだけどなぁ・・・その人も癌になっちまったんだよ・・・。その人癌になってから皮膚がちゃっこく(茶色く)なってよぉ・・・腹がパンパンに膨れて死んじまったんだよぉ・・・」といきなり知人が亡くなった時の話をした。

何て言ったらいいか分からなくなり「・・・そっかぁ、残念だったね」と言ったらボソッと「俺も随分ちゃっこく(茶色く)なったなぁ・・・」と言った。

 

おじちゃんはもう知っているんだ・・・。

でも私は「おじちゃんに嘘をつく」約束をしてここに来ている。

ここで余計な事を言ってはいけないと思ったら黙る事しかできなかった。

おじちゃんはそんな私に気づいているのか分からないが話し続けた。

「もし・・・俺が義兄の所に言ったらちゃんと言ってやるからな・・・お前はしっかりやってくれたって・・・義兄が思っているより立派に育ったぞって・・・胸を張って言ってやるからな・・・安心しろ・・・だからそんな顔をするな・・・いつもみたいに笑ってくれ・・・」

私は泣きながら精一杯笑って嘘をついた。

「えへへへ・・・何縁起でも無い事を言ってるの?おじちゃんがいつ帰ってきてもいいようにお風呂に石油入れたんだよ・・・熱めのお風呂好きでしょ?だから早く元気になって・・・」と声になっていなかったかもしれないけど嘘をつき続けた。

おじちゃんはニコっと笑ってまた眠ってしまった・・・。

スースーとおじちゃんの寝息を聞きながら声を殺して泣いた。

嘘をつく事がこんなにも苦しいものなのか・・・。

 

夕方帰り道車の中でおばちゃんは外を眺めて黙っていた。私も無理に聞こうとはしなかった。

お風呂を出て冷蔵庫から麦茶を取り飲んでいたらおばちゃんが改まって話があると言ってきた。

嫌な予感しかしないが覚悟を決めて話を聞いた。

「〇〇さん(お嫁さんの名前)と先生に今このデーターで生きていられる方が不思議だって言われた・・・。いつお迎えが来てもおかしくないって・・・だからいつ呼び出しがあるか分からない・・・。夜中電話が鳴るかもしれない・・・。」

いよいよこの時が来たか・・・と言う気持ちだった。

「おばちゃん・・・今夜からパジャマを着て寝るのやめよう・・・。すぐに出れる格好で寝よう。私電話の前で寝るから、電話が鳴ったらすぐに荷物持って私の所に来て。」と言った。

おばちゃんは黙ってうなずいた。

おじちゃんちの電話は今でも黒電話なのでおばちゃんの部屋まで音が聞こえる。

 

それから私は黒電話の目の前で布団を敷いて寝た。

朝が来ると「今日は大丈夫だった・・・」と安心する。

毎日病院に行くが日に日におじちゃんは弱って行った。

だんだん目を開けるのも辛そうになってきているみたいで、言葉も少なくなった。

「そこにいるか??」と聞かれると「ここにいるよ」と答える。

「また明日も来るね」と言うと「飯を食うんだぞ」とか「気を付けろよ」と言ってくれる。

私はこんな時でも人の心配をしているおじちゃんを誇らしいと思うと同時に「あと何回話が出来るんだろう・・・」と切ない気持ちになった。

 

その電話は夜中ついに来た。

ジリリリリン!とけたたましく黒電話がなった。

「もしもし!」と電話に出たら「すぐに来てー!!」と言われた。

その一言で全ての状況が分かった。

おばちゃんを呼びに行き車に乗り込み病院へ向かった。

結果・・・間に合わなかった。5分遅かったのだ。

おじちゃんはまだ温かかった。

「おじちゃん今までありがとう。嘘をついてごめんなさい。じいちゃんに元気でやってるよと伝えてね・・・」と最後におじちゃんに言いました。

「間に合わなくてごめんなさい」とおばちゃんにも謝った。

おばちゃんは「ありがとう・・・ありがとう・・・」と私の手を握って泣いた。

あの頃、新幹線の前で繋いだ手は私の目線と同じくらいだったのに、私はいつのまにかおばちゃんの伸長を抜き繋いだ手は随分下に見えた。

 

晴れた10月の眩しい朝日がおじちゃんの病室に降り注いだ。

おばちゃんと一緒に朝日が差し込む病室でおじちゃんの荷物を片付けていたらおじちゃんの腕時計を見つけた。

おばちゃんに「おじちゃんの腕時計が出て来たよ。おばちゃんつけてみたら?」と言ったら「おじちゃんの形見だね・・・おばちゃんこれ大切にする。」と言って腕につけた。

おばちゃんには少し大きかったみたいだけどおじちゃんの腕時計はおばちゃんの腕でかっこよく時を刻んでいた。

二人で荷物を積み家に帰った。

しばらくしてきれいに着替えを済ませたおじちゃんも家に帰ってきた。

「おかえりなさい」と言いながら布団を敷きおじちゃんに休んでもらった。

 

葬儀が終わり落ち着いたので私はそろそろ帰る事にした。

おばちゃんにすっかりお世話になってしまった。

食費位は入れないとなぁ・・・などと思っていたらおばちゃんがお小遣いを渡してきた。

「タダ飯食いなんだからこんなのもらえないよ!!」と言ったら「これはね、おじちゃんからなんだよ。あんたがトイレに行ってる時にね、ガソリン代を持たせるようにって言われたの・・・おじちゃんからの最後のお小遣いだから受け取ってあげて・・・。それにあんたもおじちゃんにご霊前包んでくれてありがとうね。タダ飯食いだなんてとんでもない!あんたが居てくれたから・・・おばちゃん寂しくなかったよ!」と言ってくれた。

「おじちゃんいなくなっちゃったけど・・・また来てもいい?」と聞いたら「いつでも帰っておいで!あんたはお客さんじゃないからカレーライス位しか出てこないけど」と笑って言ってくれた。

おじちゃんからの最後のお小遣いをカバンにしまい私は帰る事にした。

エンジンをかけ窓から元気よくおばちゃんに「行ってきます!」と言った。

おばちゃんは笑顔で「行ってらっしゃい!気を付けるんだよ!」と言ってくれた。

バックミラーに見えるおばちゃんはいつまでも手を振っていてくれた。

 

 

それから二年後、私はまた東北に向かった。

おじちゃんが病室で言っていた「退院したらサンマでも食べに行くかぁ・・・」と言っていたのを実行したかったのだ。

二年前もらったおじちゃんのお小遣いを握りしめて女川の仮設店舗に行きサンマを買いに行った。

ひっくり返った銀行はそのまんまだったが、よくも悪くも観光客が来て女川は少しづつ活気を取り戻そうとしていた。

昔おじちゃんと釣りに行った場所は海の底に沈んでしまっていたが、思い出がたくさんある私の大好きな場所。

お魚屋さんに「サンマをください!できれば箱でください!」と言ったら「お!姉ちゃん景気がいいのかい?太っ腹だねぇ!今年のは特別美味しいぞ~」と言い発泡スチロールにたくさんのサンマと氷を入れて売ってくれた。

二年前、喪服を隠したトランクにたくさんのサンマを入れおばちゃんの家に「ただいま」といって帰った。

 おばちゃんは乳癌の再発もなくいつもと変わらない笑顔で「おかえり」と出迎えてくれた。

トラックを貸してくれたおじちゃんや近所の人達に「あの時のお礼です」と言ってサンマを配った。

ものすごく喜んでくれて私は嬉しかった。

その日の夕方、ご近所から一斉にサンマの焼くいい匂いと煙が上がった。

田舎なので畑で七輪でも使って焼いているのだろう・・・。

仏さまは香りを楽しむとどこかで聞いたことがある。

これだけ一斉にご近所さんが焼けばきっと天国までサンマのいい匂いが届くだろう。

おじちゃんの眠っているお墓にはサンマは持って行けないので焼いたサンマを仏壇に供えた。

おばちゃんと「このサンマ美味しいねぇ!」と言いながらおじちゃんとの思い出を話しながら食べた。

おじちゃんもきっと天国でじいちゃんと二人でニコニコしながらサンマを食べてくれただろう。

 

私もおばちゃんもじいちゃんとおじちゃんが繋いでくれた命だと思っている。

今日があることにありがとうと思ってこれからも生きて行きたい。